息子の保護
Livredde for sonnen - 29/09/01
元記事:Hakon Moslet in Dagbladet 翻訳:あきこ
SAVOYはニューヨークのテロを体験した
ニューアルバムが話題になっている、ポール・ワークター・サヴォイとローレン・サヴォイが、オスロで最も安全な西地区のVinderenの棲み家に戻ってきた。マンハッタンの中央にある自宅から、世界貿易センタービルで起きたテロ襲撃事件を目撃した2人は、驚愕に打ちのめされたのであった。
(写真下の文・再び外に:ローレン・サヴォイとポール・ワークター・サヴォイはニューヨークでテロの襲撃があった時、息子オーギー(2歳)を守るためにアパートに閉じこもっていた。写真:Tor Arne Dalsnes)
「悲惨な体験だった」と2人は言う。あと1週間ほどで、この夫婦はSavoyとしてのニューアルバム、『Reasons to Stay Indoors』をリリースする。本紙Dagbledetが2人に会った時、彼らはまだテロに脅えているようだった。彼らはマンハッタンのTribecaに住居を所有している。世界貿易センタービルから北に、わずか10〜12区画という所にである。
「衝撃音が聞こえたんだ。僕は清掃車が来てごみを回収しているのかと思ったんだ。でも僕たちは外を見たんだ。世界貿易センタービルが燃えていたんだよ」とポール・ワークター・サヴォイは説明する。
ガスマスクを購入
全身に恐怖を感じながらも、ポールはガスマスクと食料を買いに走った。その間ローレンは2歳になる息子、オーギーを守っていた。
「オーギーにガスマスクを着けようとしたんだけど、うまく行かなかった。ガスマスクを着けるのを嫌がってね。それから思い付いたのは、街から離れることだったけど、そんなことは不可能だった。全てが混沌としていたんだ」
「私はオーギーを守るのが役目だった。だからこのことについて話すのはまだ辛いのよ」とローレンは目に涙を溜めながら言う。
彼らのアパートは、避難するために人々が家を離れた地区である、Canal Streetからほんの1区画しか離れていない。
「全身のあらゆる感覚が、その場で起こっていることを感じた。2週間経ってもまだ、ゴムが焼ける匂いが鼻に付いてるよ」とポールは語る。
堪え忍ぶ冷静さ
テロ事件を身近に経験して、彼らは疲れきって、茫然自失していた。そうした気持ちと、テロの被害状況が頂点に達した時、2人の間の状況は、緊急事態から、激しい喧嘩へと変わっていった。
「私たちはテロの襲撃に対して全く違った見方をして議論していたのね。そのせいですごい喧嘩をしちゃったってわけ」とローレンは釈明する。
「ポールは堪え忍び、落ち着くことを示してくれた。彼は『ニューヨークに留まろう。きっと良くなるよ』と言ったの。私は、そんなこと、恐ろしくてとんでもないと思ったわ。私はもう、ただ逃げ出したかった。ひどい仲たがいをしたわ。離婚とまではいかなかったけど、それに近い状態にはなった」とローレンは堅い微笑を交えながら言う。
「それであなたたちは、ヒットアワードでの演奏をキャンセルしなければならなくなりましたね。その事に迷いはありませんでしたか?」
「あの週には、たとえ100万ドル積まれたって飛行機には乗りたくなかったわ」ローレンはきっぱりと言い切る。
最近「もはや音楽はさほど重要ではなくなった」というフレーズが、アーティストが時折口にする決まり文句と化している。アメリカの多くのアーティストが、我も我もと、事件のあった日について語るのに熱心になっている。こうした、市場経済の絡んだ傷痕に、ローレン・サヴォイはきっと嫌気がさしているのだろう。そのために彼女はこんな事を言っている。
「自己憐憫の気持ちに満ちたマライヤ・キャリーや、慈善事業の天使ぶってるマイケル・ジャクソンを見てると、胃が痛くなってくるわ」
Savoyを選ぶ
『Reasons to Stay Indoors』はSavoyの4枚目のアルバムとなる。その前のアルバム『Mountains of Time』(99年リリース)は、一部の賞賛的な批評によると、ノルウェーで5万枚以上を売り上げたと言われている。だがグループは、国際的なレベルのキャリアよりはずっと下を行っている。
しかしながら、a-haとSavoyの2つのグループのうち、ポールがどちらを優先しているかは、疑う余地は無い。
「ポールは最高の曲はSavoyに割り振ってるのを隠したりはしない。頼りになるわ」とローレンは誇りに思っている。
ポールとローレンはノルウェーのジョンとヨーコという感じだ。2人は、83年から84年にかけての冬のロンドンで出会った。
その頃ポールは、まだしがない22歳の若者にすぎず、彼女ができたことはなかった。ローレンはボストン出身のユダヤ人の女の子で、美術史を学ぶためにロンドンに来ていた。
「僕らはHippodromeで出会った。ローレンが知ってる唯一の場所だったし、僕やモートンやマグスがタダで入れる唯一の場所だった。そこで僕らは出会ったんだ。その後ローレンはアメリカに戻った。そして僕は、電話料金の請求が3000ポンドにもなるまで電話をかけまくった!a-haのマネージャーは、驚きのあまり声が上ずってた。まったくすごい金額になったものさ」
「ええ、それからあなたは、自分の描いた絵や、作曲した歌と一緒に、手紙を送ってくれたわね」
「それから僕は、アメリカに行くために、持っていたレザー・パンツを売ったんだ。ボストン行きのグレイハウンド・バスに乗った時、僕には1ドル札が20枚あったっきり」
それ以来2人は一緒にいる。
「僕らは出会った頃、とても若かったから、まるで2人一緒に成長したようなものなんだ。だから、お互いのことが気に障ることも無い。僕らはお互いを良く知っているからね。僕らは全く異なったタイプの者同士だけど、一緒にいると、とにかくうまくいくんだ」とポールとローレンは言っている。