たとえ、何であろうと、全てを注ぎ込むんだ!
YOU PUT EVERYTHING INTO IT, NO MATTER WHAT! - 09/99
元記事:Stein Arne Nistad in Audio issue 5 英訳:Jakob Sekse 翻訳:Mayumi
80年代初期のいつだったか、3人の若者がゴールデンタイムにTVで演奏した。彼らは新しいバンドで、新しい曲を演奏した。多くの人にとっては、夢は大きすぎて叶えられず、日々の生活の中で灰色の埃となって終わる。しかし一部の人にとっては、夢が大きすぎるというコトはない。3人の若者は音楽に興味を持ち、スターになってみせると確信した。そのことに疑問の余地はない。わたしは、彼らが有名になる前にその話を聞いたが、彼らの夢を若者特有の純真さと見ていた。約1年後、『Take on me』は世界中のチャートでトップに輝き、ビデオはMTVでハイ・ローテーション放映された。a-haそしてメンバーであるポール・ワークター・サヴォイは夢見た世界で生きることになったのである。
土曜夜のTVショーから15年が過ぎ、わたしはメンバーの1人と会った。ソングライターであり、スターでもある彼は、コントロールを失うことなく夢で自分の人生を彩ることに成功したのだった。 ポールは、Aleksandersenが自分の曲の中で歌っているように、ロイアル・アルバート・ホールへの道を歩いた。それは、たくさんのノルウェー人アーティストが夢見ていることである。今彼は妻のローレンと幸せに暮らしており、父親になったばかりだ。そして趣味のバンドとしてa-haをやりながら、SAVOYのバンドリーダーをしている。
インタビューは、オスロのVinderenにある家具屋、R.O.O.M. で行われた。そこにあるカフェは、とても居心地が良く、上質の家具、価格の高さ、上質のカフェが揃っている。わたしたちがいるVinderenはもうしぶんない場所だった。ポール自身がこの場所をインタビューのために選んだ。a-haのメイン・ソングライターであるポール・ワークター・サヴォイは、もう若者ではない。波乱にとんだ38年を過ごした彼は、私が想像していたよりも背が高く、黒っぽいジャケットを着ていて、痩せていて、灰色の目をしていた。友好の固い握手をかわした後、わたしたちはカプチーノを注文し、まだ夏だと思えるような9月の夕暮れに、戸外のテーブルに落ち着いたのだった。a-haやスターの座、アイドル崇拝を取り囲む人々の熱狂は、わずかなことでしぼみがちである。ポール・ワークター・サヴォイはしっかりと地に足がついた人だ。まるで旧友と話しをしているような気がした。
Manglerudから来たごく普通の田舎少年
ポールはManglerudで成長した純粋無垢な有名人ではない。彼は68年以前に青春を過ごした人間ではなく、おそらく70年代初期、1975年辺りに10代の青春を過ごした。その頃、Manglerudでは深刻な麻薬の問題があり、たくさんの若者が巻き込まれていた。彼らの多くは、すでにこの世を去っている。「僕らは、ドラッグについては考えを明確にしていた」とポールは、自分とマグネ・フルホルメンについて語った。「音楽中毒になったかもしれないけど、薬には近寄らなかった!」『Hexagon(六角形)』が彼らのバンドの名前だった。
ポール・ワークターは音楽の授業に没頭できず、語学を勉強するには内気過ぎた。「あの当時の僕には向いていなかった。外国語でスピーチする時は、どもって真っ赤になったものだよ」そこで彼は科学の授業を選択し、数学をたくさん勉強した。それが後に役に立たなかったわけではなかったようである。ポールによれば、音楽には、計算とロジックがとても関係しているそうだ。トーンとコードは符合するべきものであり、ポールは自分で譜面を書けないのにもかかわらず、妻のローレンいわく、ハーモニーやアレンジのやり方を間違ったことはほとんどないということだ。
しかしポールにとって、学校が特に一番大切な場所ではなかったのだ。「高校では、僕は『お客さん』と呼ばれていたんだ。でも最終試験の結果はなかなか良かったよ。とにかくすべてが音楽、音楽だった。僕らはビートルズみたいなことをするつもりでいて、思うに僕の両親は、僕の将来について余り楽観的ではなかったようだ。おそらく姉が、僕の音楽を真剣に受け止めてくれた最初の人間で、僕の両親は徐々に事態を受け入れるようになった。ブレイクした後、僕の家族は世界中で行われたコンサートによく来てくれた。とっても普通の家族さ、でもきっととても誇らしく思ってくれたと思うね!」
残されたのは面倒なことだけ
ここで、a-haについて触れないわけにはいかないだろう。新しいCDが完成し、この秋にリリース予定だった。しかしほとんどの作業が終了しているのに、来年までリリースは延期になった。ポールはプロジェクトについて熱心に語ってくれた。長い年月の後に再び新しいやり方で一緒に仕事をすることについて。そして自分の生活の中でより大切なプロジェクトがある現在、趣味のバンドとしてa-haで仕事をすることについて。
「最後に残ったのは、面倒なことだけさ」とポールは語る。
「みんなでたくさん曲を書いてそれぞれ違ったミックスをたくさん作ったけれど、それをひとつのCDに収めなければならない。そうなると、始めの創作段階にさかのぼって、どの時点で曲が生まれたのかそして、どこで曲自身が存在することになったのか見つけ出さなければならない。(余計な部分を)削り取って、本質を見つけ出すということだね。全てを注ぎ込んで作られた曲にも関わらず、(曲を聴いてみて)鳥肌がたつかどうかという、まったく単純な理由だけが必要なんだ。鳥肌が立たなかったら、その曲の可能性をそれ以上追求するのを止めてしまう」
「このアルバムからは、(ビートルズの)『ホワイト・アルバム』のような感じを受けるんだ。離れ離れになってから、それぞれ新しい刺激を受けてきた。そして今、それがひとつのCDの中に溶け込んでいる。少々分裂症ぎみで主観的ではあるけれども、全体的には良いアルバムにしあがるだろうね。これまでのa-haのアルバムの中で最高の出来になると思うよ。」
生身の音と音響(ソノリティー)について
ポールは、音楽やサウンドがオーガニックであるかのように話した。それがまるで食べ物かワインであるかのように。まるで洪水のようにあふれる色彩や味わいについて語っているようだ。ポールは、音響や楽器の性質や歌うことへのチャレンジについてよどむことなく語った。そして違う種類のマイクや、サウンドボックス、ミキシングテーブルなどについてまるで、音のイメージを描くための絵の具のパレットであるかのように語った。ポールは、自分をオーディオマニアがスタジオにいるものと考えている。彼はスタジオ機材を収集しており、コレクションはかなりの数にのぼる。ビーチボーイズのミキシングテーブルを購入したほか、最近NRKからサウンドボックスを購入した。最新の電子機器ではなく、古風なモノラル音響式のボックスで、金属板でできていて、調節するためのねじがついている。音の絵描きであるポールに言わせると小さなかわいらしいボックスは重さが400キロもあるが、それが生み出す音質は400キロ分の価値が十分にある。デジタル音響式は、モノラル式にくらべると、まったく面白みがない、と言う。
私たちは、プロダクション技術について話合った。どうしたら故意に、マイクを使って楽器のサウンドからはっきりと鈍い音を選択できるのか話した。マイクが虚無感を強調したり目立たせたりするのだ。ポールは、楽器やボーカルの生身の音について話した。それは主要な音の頻発個所である。ポールは、意図的にサウンドを強調したり、楽器やサウンドボックスを使いわける。それはまるで粘土細工で自分を表現しているかのようだ。ポールは笑いながら、彼の変わったマイクロフォンの前で演奏させられたトランペット奏者の話をした。彼は自分が吹いたトランペットの音色があまりひどいので驚いたそうだ。「僕はとてもいい音色だと思ったんだけどね」とポールは言った。「トランペットのサウンドの生身の部分をどうにかして引き出すことができて、結局彼もできあがった音を聞いて納得してくれたよ。彼も、イイ音だって思ってくれたようだ」と付け加えた。
Savoyの曲の中に、確かにビートルズ・サウンドを聞き取れるという点について言及したところ、ポールはくすっと笑った。「人によって、違う風に受けとめているようだね。僕は、全く違う種類の音楽をいろいろ聴いていて、時には意識的に、または無意識のうちにその影響が出ることがある。だから、多少ビートルズやa-haの要素や他の要素がSavoyのサウンドにあるんだと思う。少なくともいろんなサウンドが入っていることは確かだよ!」
スターとホテル
人々の多くは、a-haがどんなに有名だったか気づいていないだろう。『Take On Me』でいきなりスターの座に上りつめた瞬間、彼らは大スターの世界へ飛び込んだのだった。大スターの世界がそこに入りこんだ人々にどんな影響を及ぼすか、すでに数え切れないほどの例がある。大スターの生活とは、自分の心やエゴを慰めるだけではないからである。3人の若者は、崇め奉られてアイドル信仰された。ホテル生活、TV、空港、女の子たち、そして自分たちの心は?
「僕らは、絶叫する女の子たちや空港やホテルで待ち構える群集といったまるでビートルズのようなありとあらゆることを経験したんだけど、僕個人はそのことについて深く考えたことはないんだ」ポールは語った。「今では、そういう暮らしからもう少し離れているべきだったと思うくらいでね。あの時代の僕はまるでゲームの競争者のようだった。僕らが消化しきれないほどに全てがものすごい勢いで起こったんだ。僕らは自分たちがやっていることへ現実的な対応をしてきたとも思っている。知っている他のバンドとは逆に最新のヒットチャートへ執拗に固執することはなかった。僕らはやるべきことをやり、自分たちが考えていたものとは違ってアイドル信仰されてしまったんだ。僕らは働いて夢を実現した。それに、ローレンと一緒だったおかげで、しっかりと自分をつなぎとめられたのだと思う。僕らはa-haが売れる前から一緒だったから、安定した関係でいられたのかもしれないね。そういう意味では絶叫する女の子たちの印象はあまり強くないよ」
Savoy
ポールの最新プロジェクトはSavoyのアルバムである。非常に良い評価を受け、すでにゴールドレコードに輝いている。スカンジナビアや他の国々でもヒットするだろう。わたしはポール本人に向かって、最初新しいSavoyのアルバムを聴いたときはあまり好きではなかったが、徐々に好きになった、と告白した。ポールは、ニヤッと笑って答えた。「好きになるまである程度時間がかかるというのは良くあることさ。Savoyはa-haとは違うプロジェクトなんだ。a-haでは、ビートルズのようなことをしようとしていた。スターになって、一番になってやるってね。僕らは同じ家に一緒に暮らし、一緒に旅をして共にゴールを目指した。そして成功した。a-haのコンサートは、まるで機械の中にいるかのようだった。ライティング、サウンド、バックミュージシャン、全てが完璧で作られたものだった。だんだん自分たちでアドリブをやることを許されるようになったものの、まだコンセプトを前提に演奏される音楽だったんだ。Savoyは全く違う。今、僕らは小さなクラブでプレイしていて、他の誰かの機材を使うこともある。全てが小規模になり、もっと剥き出しの状態になったんだ。隠れる場所なんてありはしない。ローレンはコンセプトの重要な位置を占めている。ローレンはSavoyの前にバンドをやった経験はないけれど、今ではSavoyの大切な部分になっている。彼女が思いがけないようなギターの音を出すので、ある程度まで予想できない推進力と付き合わなければならないんだ。ローレンは彼女のやるべきことをやっていて新しいことへチャレンジしてバンドに貢献してくれている」
パイプ式マイクロフォン、そして大切なものについて
わたしは、少々深い個人的な質問を試みた。しかし、宗教の話に触れそうになると、ポールはその話題から身をかわそうとした。「パイプマイクロフォンを信仰している、といわれてしまうかもしれないけれど、その奥にはもっと別の何かがあるんだ」もしかしたら、ポールが信じているのは『愛』かもしれない。わたしが何を知っているというわけではないけれど、奥さんのローレンの話を始めたとき、深い情熱の炎のようなものを感じた。その炎は15年間も燃えつづけ、おそらく永久に消えることなく燃えつづけるのだろう。ポールが彼女の話しをするときとても暖かく身近に感じていることがわかる。「もし、他の誰かと出会っていたのだったら、音楽をあきらめなければならなかったと思うんだ」ポールは言った。「ローレンと出会う前の話だよ」ローレンはその当時ロンドンで映像とアートについて勉強していた。2人が出会ったのは1984年のことである。a-haがビッグになる前のことだ。音楽で生活していくことにまったく疑問を投げかけることなく、むしろ誉めてくれて勇気付けてくれた彼女との持ちつ持たれつの関係について、そしてソウルメイトとしての彼女の話をした。「ローレンが僕にくれた手紙のいくつかは、まるで詩を分析しているようなものだった」ポールはそう語った。
現在Savoyの一員であるローレンに、今年子供が誕生した。ポールは、3人目の家族が同じ家で暮らすことになったという不慣れな現実や、新しく生じた責任と義務について語った。「長い間、僕たち2人でやってきて自分たちだけのプロジェクトに関わってきた後、(いままでの僕らにはなかった)日課を作ったり要求をする新しい家族が加わった。これからは僕たち2人だけで、自分たちのことだけしていくわけではないという今までとは違った考え方を持つようになった」
1時間
今は9月だが、これで終わるわけではない。取材にあたったこの約1時間は9月のある夕方の一部分にしかすぎないのだ。僕にとって、ポール・ワークターの物語は80年代初期のある土曜日の午後から始まった。そしてその物語は次の2000年代もずっと続いてゆく。ポールにとって、彼の歴史は夢を実現したことにつきる。しかし、その夢の中には新しい夢が存在し、物語の中には新しい物語が始まっているのだ。ポール・ワークターは、しっかりと地に足をつけた人間だ。彼と話しているとまるで旧友と話しているような錯覚に陥る。